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投稿者: itta
本日をもってブログ更新終了となります。
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投稿者: itta
ご要望にこたえ、最後まで書き切るつもりでしたが、時間がきてしまったようです。

目黒断酒学校、半分も書けませんでした。すいません。

この後、私の人生を変える人との出会いがあり、家族が出来、私は、また挑戦することになります。
いや、挑戦しないと仕方ない事態に追い込まれたからです。

自分と向き合わなければ、人と向き合うことなんてできない。

拳を床に何度も何度もたたきつけ、骨がむき出しになってもたたきつけて血だらけになった床に私は誓いました。

「もう、逃げない!」と。


その後については、過去のブログに少しずつ掲載してあります。

いつだったか、アルコール依存症の回復支援施設で、こういった私の体験談をお話させていあだいたことがありますが、文にしてみると、ものすごい歴史だったのだとびっくりしています。

私は、しがないマイナーボクサーでした。
多くのブログは世界チャンピオンクラスのビッグな人ばかり。
そんな中で、私が申し訳ないと思いながら、書きつづらせていいただいておりました。

それは、世界チャンピオンでも、練習生であっても、ボクシングを愛する根っこは変わらないということ。
その純粋な気持ちを、できるだけ多くの人と共有したかった。

ただそれだけなのです。
とるに足らない言葉の数々であったかとは思いますが、ここまで付き合いいただいた皆様。
本当にありがとうございました。

私は明日からまた新たな一歩踏み出します。
それは、皆さまのご支援ご指導があったからこそだと本気で思っています。

本当に、本当に、本当に、ありがとうございました。

ブログは本日で終了します。

最後に、皆さまに伝えたいことがひとつあります。

それは

「ボクシング最高!!!」


です。

さようなら。
ありがとう!

またいつの日かお会いし、いろいろなお話ができることを願っています。
皆様のご健勝とともに。

では、失礼いたします。

星島一太  (http://hoshijima.hamazo.tv/
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投稿者: itta
そして私はジムから離れます。逃げました。

もともとアルコール医療に対するわだかまりをぶつける、あるいは、アルコール医療に順応できない私のダメさ加減を矯正するために入ったボクシングジムであったはずなのに、やはり同じ。私は逃げてしまうのです。

患者様の心からも逃げ
ボクシングからも逃げ
自分の心からも逃げてしまった・・・


「一時が万事」とはよくいったものです。

「今、ここ」でおこっていることは、いろんな場面で起こっている。

そのとおりのことがおこったのです。

しかし私は認めません。
弱さを受け入れることができません。

そこで私は何をしたか。



仕事が終わったら、そのまま、新宿や池袋、六本木にタクシーで繰り出し、外人たちや仲間たちと夜通し遊びまくる。飲みまくる。踊りまくる。

「ヘイ!こつはイッタ。ボクサーなんだぜ!」

なんて紹介をしてもらい、少しかじったボクシングテクニックを自慢げに外人たちに披露する。
滑稽だ・・・

仕事での苛立ち
ボクシングから逃げてしまった苛立ち
それまでの劣等感・・・・

様々なものを消し去ろうとするがごとく、夜な夜なアルコールを喉に流し込んだ。
決して飲んではいない。流し込んでいただけでした。

気づけば早朝の青い空。鳥のさえずりとともに、ボロボロになったスーツと、スッカラカンの財布とガンガン痛む頭。

そんな思いをしても、翌日はまた同じ場にいる自分。
もうどうしようもなかったんだと思います。

そうすることでしか、自分を保てなかったんだと思います。

アルコール医療の中で「やさしさ」を失ってしまった苛立ちと悲しみ。
だからといって、どうすることもできず、直面化を乱用し、患者様に治療という大義名分を借りて自分自身の怒りをぶつけてしまう醜い自分・・・・

それを治そうと臨んだボクシングでも逃げてしまう自分。

もうどこにも私の居場所などないし、生きていても仕方ないと本気で思いながら酒を流しこんでいました。
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投稿者: itta
そんな練習を積み重ねる中で、なぜか試合もないのに減量を始める私がいました。

とことんアディクトな性格の私は、とことん突き詰めてやってしまうのです。(だから続かないのだが)

ジムに行けば、頭から毛布をかぶってストーブの前でじっと耐えている試合前の岡本さんがいました。
なぜか私も家に帰って同じことをします。
そうやって、プロボクサーという形を模倣することで満足していた時代でした。

しかし、プロを目指す練習は本当にきつく、追い詰められればおいつめられるほど、人間の本性はでてくるもの。

ある日の練習。
10R(3分×10)連続のサンドバッグ打ちの練習をしていました。
この練習はペース配分を考えながら打つのではなくて、最初から全力で、自分の持ってい100%、120%の力を最初から出して打ち続ける。しかもそれを10Rやりぬくという狂気の沙汰の練習でした。

何ラウンドかはもう忘れましたが、弱い私のこと。
やはりいつもの「逃げ」の気持ちが出てしまい、一生懸命打っているふりをして、少し力を抜いて、3分をやりすごそうという自分が出ていました。

そこを会長が一蹴。

サンドバッグを打っている私の後から
「星島ああ~。お前の練習を見ていると、お前の生き方がよお~くわかるぞお~」


・・・・・・・


実はこの言葉。
その時はあまりズシンときませんでした。

あまりにも苦しくて、そんなことを考える余裕もなかったのですが、
なんとなく頭の中に残っていて、
その後の練習をする際にも、なんとなく残っていました。

本当の意味で、この言葉がズシンとくるのは、あと数年後のことです。


実際、その後、私は、少しずつ練習をサボるようになります。


仕事が忙しかったから、
残業だったから
体調が悪いから
風邪を選手にうつしたらヤバイから
怪我をしているのに無理をしたらかえってわるいから
長くやるためには、少しぐらい休んだほうがいいから・・・・

などと、次から次へと、いくらでもでてくる理由によって
私はジムから遠のいていきます。

現一力ジム会長の鈴木さんや、岡本さん(現カシミジムトレーナー)から電話をもらいながらも、何かと理由をつけて休み・・・・

仕事が・・・って言えば、たいがい理由は通るのです。


私はしばらくして、全くジムから遠ざかってしまうことになります。
そこまで1年。

いつも頭のどこかにあった、セレス小林さんの姿は、その時もう消えていました。
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投稿者: itta
毎日毎日練習に通い、少しは会長から声をかけてもらえるようになったある日、

「星島あ。ちょっと岡本に相手してもらえ」

えええええ!
岡本さんと言えば、ジムの頭であり、全日本新人王であり、日本ランカーであり、
現在、もっとも日本チャンピオンに近く、世界を狙える逸材と言われていた超パワーファイターです。

何が何だかわからないまま、私はヘッドギアを頭からかぶされ
14オンスのグローブをつけられ、そしてゴングがなりました。

その後のことは全く覚えていません。

覚えているのはあの地獄の苦しみだけです。

岡本さんの右ボディーで沈没。

声にならない声を上げながら、リングの上でもだえ苦しみ、立つこともできない。
声を出すこともできず。

しかたなく皆が私を抱え、ロッカールームへ。
真っ青になりながら、その後も声を出すこともできず、数時間ロッカールームで座っていました。立つことすらできないので。

すると岡本さんがやってきました。

「ちょっとやりすぎたか?ただな。ボクシングっつうのはこんなもんじゃねえからな。こんな痛みや苦しみ。苦しみのうちにはいんねえから、それだけは覚えとけ。もっと強烈な地獄があるからな。ま、よかったぞ。がんばれ」

そう言って去っていきました。

私はその後、それまでにも増してボクシングに入れ込んでいくことになります。
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投稿者: itta
毎日毎日練習に通い、少しは会長から声をかけてもらえるようになったある日、

「星島あ。ちょっと岡本に相手してもらえ」

えええええ!
岡本さんと言えば、ジムの頭であり、全日本新人王であり、日本ランカーであり、
現在、もっとも日本チャンピオンに近く、世界を狙える逸材と言われていた超パワーファイターです。

何が何だかわからないまま、私はヘッドギアを頭からかぶされ
14オンスのグローブをつけられ、そしてゴングがなりました。

その後のことは全く覚えていません。

覚えているのはあの地獄の苦しみだけです。

岡本さんの右ボディーで沈没。

声にならない声を上げながら、リングの上でもだえ苦しみ、立つこともできない。
声を出すこともできず。

しかたなく皆が私を抱え、ロッカールームへ。
真っ青になりながら、その後も声を出すこともできず、数時間ロッカールームで座っていました。立つことすらできないので。

すると岡本さんがやってきました。

「ちょっとやりすぎたか?ただな。ボクシングっつうのはこんなもんじゃねえからな。こんな痛みや苦しみ。苦しみのうちにはいんねえから、それだけは覚えとけ。もっと強烈な地獄があるからな。ま、よかったぞ。がんばれ」

そう言って去っていきました。

私はその後、それまでにも増してボクシングに入れ込んでいくことになります。
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翌日から、仕事後の毎日のジム通いが始まります。

毎日毎日、鏡の前で構えの練習。
構えだけと侮るなかれ。
構えだけでも、ものすごくしんどい。
実際、鏡の前で1時間以上、同じポーズをとっていると、足ががくがくしてくるのです。

そんな2週間をすごし、いよいよジャブ。
固まってきた構えから左ジャブ。
これをひたすらくりかえす2週間。

そして右ストレート・・・・・と少しずつボクシングのカタチを身につけていきました。

ある日曜日(日曜日の昼は選手が少ない)、佐々木会長から
「星島あ~。リングにあがってフットワークやれえ~」と言われました。

やったああ。
リングに上がれるのは選手だけの特権。
私のような駆け出しにああがれることのない聖域でした。

そしてそこで指導されるままにフットワークをとると

「うん。なかなかいいじゃねえか。何かやってたか?」
と聞かれ、

「はい!ハンドボールを12年間やっていました!」と元気に答えたら。

ハンドボール?よくしらねえ・・・と返されがっかり。

しかし、少しでも会長に見てもらえたことで私は有頂天になりました。

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投稿者: itta
しかし、アディクションネットワーク研究会も私のリーダーシップのなさから少しずつ力を失っていくこととなります。

ここで、ボクシングとの出会いについて語っておかねばなりません。

私がボクシングと出会ったのは、前職の上司が連れて行ってくれた元世界フライ級チャンピオン、セレス小林さんの試合がきっかけとなります。まだ小林さんが、4回戦の時代から見させていただいておりました。

大変申し訳ないのですが、試合を見ていても、さほどスピードも感じないしパワーも凄味もなく(本当に、本当に申し訳ございません)、今まで私がやっていたハンドボールの選手のほうが、明らかに身体能力で勝る!と思えるような試合でした。

私も身体能力には自信があるほうで、100メートルを走らせればたいがい11秒の前半は流しても出るし、背筋力も250キロは簡単に越えるなど、全国でもトップクラスの身体能力テストの数値をたたき出していました。跳んでも跳ねても走らせても重いものを持ちあげさせても、細かい技術を問うても、対外簡単にこなせる。そういう自信だけはあり、正直小林さんの試合を見て、ボクシングなんて簡単だとも思っていました。(本当に本当に申し訳ありません)

私がボクシングのことを何も知らないというもあったのですが、おそらくあの4回戦時代の小林さんの試合を見て、この選手は将来世界の頂点を獲るとはだれも思わなかったと思います。
実際に小林さんがレオ・ガメスを倒して世界チャンピオンになったときは。小林さん自身が「おれが本当にチャンピオン??」とわ笑って答えていたほどです。

4回戦から6回戦、そしてA級にあがり、当時の日本チャンピオン、スズキ・カバト選手のと数回にわたる激闘。
あの小林さんは、僕の目の前で、何度も何度も苦杯を舐めながらも、最終的には日本で一番強い男になってしまったのです。

僕の心は動いていました。
仕事を続けながら、ハンドボールの社会人クラブチーム(関東1部)に所属しながらも、大学時代に痛めた肩と肘が思うように動かず、ついにはボールを投げることもできなくなってしまい、24歳で引退。

幼いころから勉強はダメだけれど、スポーツでは誰にも負けないという自身の存在価値を頑なに守ってきた私です。
次なる戦場を求めた時に、当時住んでいた北区の上中里からほど近い「トクホン真闘ジム」の門を、叩くまでには時間はかかりませんでした。

忘れもしません。日曜日の午後。
バイクでのりつけたジムの真ん中には、黒ぶちメガネをかけた筋骨隆々の中年が一人座っていました。

「先ほど電話した星島です」

「おう!あがれあがれ。」そんなやりとりで、初めて見るサンドバックを珍しそうにみていたら

「叩いてみるか?」と聞かれグローブを渡され、自分では結構強く殴っているつもりが、
その横で、

「なってねえなあ。こうやるんだよ」と
黒ぶちメガネの中年は、素手の拳で
サンドバッグが壊れるんじゃないかと思うような勢いで殴り続けました。

あの重いサンドバッグ横に、そして縦に、まるで無重力状態のように揺れる様と、人間の拳がここまですごいのかといことをみせつけられました。

あんぐりです。

すると黒ぶちメガネは私の拳をつかみ、ナックルの皮をつまんでのばしました。
「こりゃケンカなんかしたことねえ拳だな」と言いました。

「おれの触ってみろ」

触ると、その拳のナックルはカチカチ。皮など伸びる余地もない。
触っているだけで痛い!!というような拳でした。

「やってるうちにこうなるよ」黒ぶちメガネは笑いました。

そして「ちょっとこっちこい」とリングに誘われ、「相撲をとろう」と言われました。

腕っ節にもスピードにも自信のあった私は、こんなおっさん簡単に投げとばしたるわとかかっていきました。

しかし、まったく動かない。本当に一ミリも動かない。岩でした。
そして、スッと力を抜かれた隙に、私の体は宙を一回転し、マットにたたきつけられる。

そんなはずはない。
何度も何度もかかっていっても、私の体は宙に舞うばかり。

ついに立てなくなって
黒メガネは言いました。

「どうだ。明日から来るか?」


私は即答「ハイ!!」と答えました。


その黒ぶちメガネこそ、あのかの有名な、佐々木会長だったのです。
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投稿者: itta
この例会周りの体験をもとに私の中にある考えが湧いてきました。

アルコール依存症者よりもっと病的な私がソーシャルワーカーをしている。

アルコール依存症の自助グループは断酒会やAAなど、都内では毎日いろんなところで開催されているにも関わらず、援助者の自助グループはほとんどない。

もしかしたら私と同じように悩んでいる援助職がたくさんいるのではないか。

クリニックで患者様の関係者(福祉事務所、保健所、内科病院、家族などなど)を一堂に会してケースカンファレンスをする時、いつも感じていたのが、患者様ももちろん悩んで苦しんでいるけれど、関係者だって悩み苦しんでいる。その悩み苦しみを抱えた関係者の中心にいるのが患者様ならば、関係者の心の健康こそが、患者様の心の健康にもつながるのではないか。

ならば、関係者の心の健康のための自助グループを作ればいいじゃないか。
ただし、そういうふれこみではプライドの高い援助者のこと(スミマセン)。来ていただけないではアレなので、勉強会という形で会せないだろうか。そんな考えが浮かんだのです。

私はすぐさま「アディクションネットワーク研究会」を立ち上げ、月に1回のペースで、それぞれの実践報告や得意分野のレクチャーをしてもらい、泣きもすれば笑いもする人間としての援助者グループを作り、このムーブメントをやがて日本全国に広めることで、援助者の心の健康から、患者様の心の健康をサポートするといった壮大な計画をたてたのでありました。

当時、アルコール看護研究会での看護仲間や、臨床事例研究会での臨床心理士仲間を中心として運営し、仲間が仲間を呼び合う力で、会はどんどん大きくなっていきました。

そして全国から問い合わせをいただけるような会へと成長することとなります。
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このような旧久里浜方式と呼ばれるような手法で、私の仕事は本当に楽になりました。

なぜなら、私の前に残る患者様は、私の言うことをちゃんと聞く患者様ばかりだからです。
私の言うことを聞かない患者様は、治療の意思なし(酒をやめる気がない)としてお帰りいただくので、自ずと私の中での優等生ばかりが眼の前に残るのです。

では、その後の断酒および回復はどうかといえば・・・・・
たいがいの方は数か月後に再飲酒です。
再飲酒し、入院、怪我、失踪、犯罪、刑務所、死・・・・・です。

一定期間は優等生として頑張れるものの、
いつしか頑張りきれなくなり、
鉄棒にぶら下がり続けた人がいつしか力尽きて落ちてしまうように
酒に手を出してしまうのです。

確かに楽になった・・・・
しかし、何かが違う・・・

そのころの私はとにかくこの疑問を解消しようとあらゆる方面に手を出し始めます。

その代表例が
精神分析の簡易版と呼ばれる「交流分析」
やツボのタッピングによってトラウマや症状をとるTFT
その他様々な勉強をしました。

給料の殆どは家賃以外、このような勉強の講習や文献に費やし、仕事後もすべて勉強に費やしていました。
仲間からも異常と呼ばれるほどの勉強の仕方でした。

寝る間も惜しんで勉強に時間と金をとことんつぎ込む。
そんなことを繰り返しながら、楽になれども疑問は消せずといった毎日を来ることになります。

(*注 旧久里浜方式は現在でも一部非常に有効です。ただ、私の理解が浅かったためにこのような結果になっていることをご理解ください)